てんかんストーリー

てんかんである自分を理解し自立させてくれた家族に育まれ、その後に最良のパートナーとの出会いをされたマキさん。てんかんをお持ちの方が出産育児をしていく上で、公的支援をいかに活用したのかなど、これから子供を持たれる方にも勇気をいただけるストーリーをご紹介します。

子供の頃のことを伺えますか?

小学校2年生で欠神発作の症状が現れました。偶然、過去にてんかんの児童を担当した経験があった先生が担任だったので、連絡帳に書いてくれたことがきっかけで、両親と共に知ることができました。初めに受診したお医者さまがてんかんの専門医だったのですが、ご高齢でもあったため数年後その病院で診てくれる人がいなくなり、別の病院を紹介されました。ただ、そこは車で4時間半もかかる病院。状態にもよりますが、月に数回、母が早朝5時に私を病院に連れて行ってくれたものです。まだ幼かった兄弟にも寂しい思いをさせたのかなと申し訳なく思っています。
その後、小学校高学年になるとホルモンバランスのこともあってか、倒れる感じの発作が出て周囲を驚かせるようになりました。周囲はこうしたことに理解のある方も多く、差別的なことはありませんでした。

中学校以降の学生生活はいかがでしたか?

中学生になると症状も落ち着き、学校生活としては普通に楽しく同級生と過ごすことができるようになりました。そんな折、母の強い勧めもあってカナダとアメリカにホームステイをする2週間ほどのツアーに参加しました。出発前から少し体調が悪いこともあり、最初のカナダでは大丈夫でしたが、その後のロサンゼルスのディズニーランドのナイトパレードを観ていたときに発作が起こりました。救急車で運ばれて気がついたら向こうの救急外来で目覚めたのです。自分はほとんどその時の状況を覚えていませんが、周囲の知人の話によれば、同行していたカメラマンが面白がって写真を撮ろうとしていたのを現地の人が制止してくれたとのことです。日本に比べててんかんに関する周囲の理解が進んでいると実感したものです。高校生時代では友人の前で発作を起こしたこともありましたが、友人にも恵まれ楽しい日々でした。卒業後は、介護系の専門学校に進学し、一人暮らしをはじめました。

一人暮らしをはじめることについて、
不安はありませんでしたか?

私は中高生の頃から、親元を離れたいと思っていました。というのも、同居していれば親の心配が直に伝わってくるので自分の行動に制限をかけてしまうためです。専門学校入学と同時に親を説得して一人暮らしを始めて、自由な生活を楽しむことができました。今振り返れば、親や兄弟と同居している時に色々チャレンジさせてもらっていたことが、一人暮らしでもその後の結婚生活でも大いに役立つことにはなったのでしょうね。

 中学校以降の学生生活はいかがでしたか?

その後、今のご主人と出会われ
ご結婚をされたのですね?

主人とは働いていた街で友達同士の飲み会を通じて知り合いました。いよいよ結婚しようという段階になって、彼の両親に大反対されてしまったのです。主人が「どうして理解できないのか」とお父さんと喧嘩になり、「マキちゃんを認めてくれるまでは帰らない」とそれまでは毎年必ず帰省していた実家に寄り付かなくなりました。私が「お正月とかそういう時には帰ってもいいよ」と言うと、「僕の両親には守ってくれる家族がおるけど、マキちゃんを守る人は僕しかいない」ときっぱり返してくれたのです。時間はかかりましたが、結婚が認められ、その後は主人のご両親にも理解をいただけるようになりました。これも主人がてんかんを持つ私を受け入れてくれ、たたかってくれたからこそだと思っています。

その後、今のご主人と出会われご結婚をされたのですね?

家庭を築かれ、お子様を授かったことについてお話しいただけますか?

初めての妊娠のとき、先生から胎児に障害がある可能性を言われましたが、私たちは子供を産んで育てようと決意しました。夫婦で専門書やインターネットで調べ抜いて、出産を控えていましたが、残念ながら出産直前に亡くなってしまいました。それは苦しいほど悲しいことでしたが、主人との絆がますます強まったのは確かです。私たちは諦めませんでした。先生からは「薬も飲んでいるし、また同じようになるかもしれませんよ」と言われましたが、挑戦しようと決意しました。そして元気な男の子を授かりました。「目が開いている」ことがこれほど感動的なこととは思いませんでした。主人が子供を抱いている姿を見て、すごく安心したことを覚えています。初めの子が亡くなって教えてもらったことがあるのです。どんな障害があっても前向きに頑張っていればいいことがあるよって。それで私も頑張ろうって。気づけば、息子も小学校5年生で、少し早い反抗期を迎えています(笑)

育児の上で、困ったことはありましたか?

出産前から、保健師さんと病院の先生、看護師さん、私たち夫婦の5人で「沐浴の最中に発作を起こしたら子供がどうなるか」といった具体的なことを話しあったりしました。そして、出産後、家事・育児支援の公的な支援を受けることにしました。産後はホルモンバランスを崩しやすいということもあり、万が一、沐浴中に発作を起こしたら危ないですよね。協力的な主人でしたが、いつも一緒というわけにもいきませんから、こうした支援をフルで活用できたことは大いに助かりました。

育児の上で、困ったことはありましたか?

子育てでの苦労は有りましたか?
また、今後、チャレンジしたいことはありますか?

子供が保育園に通うようになり、時間のきっちり決まった事務の仕事に就きました。ただ、主人がいないときの保育園の送り迎えに車を運転できないのは大変で、子供と大きな荷物を抱えてバスかタクシーを待つのは辛かったですね。子供が小学校に入ると、子供同士の交流が出てきて、車が使いたいときも多くなりました。小学校も高学年にもなると、息子の交友関係や習い事も増えると主人にばかり頼れないので、私は気心が知れたママ友にも協力を仰ぐようになりましたね。
子育てが一段落して、時間ができるようになったら、英会話を身に付けたいと思っています。私はエンターテイメントに関心があって、海外のアーティストの歌や話している言葉が理解できたら素敵だなと思っています。

 子育てでの苦労は有りましたか??

てんかんをお持ちの方や、そのご両親へ

てんかんという名前がついていても、発症年齢も、症状も本当にバラバラなので、必要以上に人と比べないで欲しいと思います。そのことでご両親も本人も、随分生きやすくなるのではないでしょうか。「うちの子は何でこんなんだろう」とか、「何々ちゃんは発作が起きてないのに私はどうしてこんなに起きちゃうの」とか。同じてんかんっていう名前であっても他の人と比べるとたぶん苦しくなると思うので、自分の病気と向き合って自分がどうしたいかっていうことを考えて、チャレンジしたほうが多分生きやすくなると思います。また、親としては、危ないことを周りから排除するよりも、子供のうちに色々体験させてあげることも、結果的には自立した幸せな人生につなげてあげることができるのではないかとも思っています。
これから妊娠、出産を考えておられる方は、私が利用した家事・育児支援サービスのような公的なサポートを調べられるといいと思います。出産後は母親が何に困っているのか、周囲もわかりませんし、あまり表に出てこなかったのかきちんと法的な制度化もされていないので、同じような経験をされている方からお話を伺うのもいいでしょうね。応援しています。

取材日:2021年11月